その間、北米ではニューヨークに出かけたことはあったが西海岸には用がなかった。1年じゅう生活するにはライフスタイル、特にエンターテイメントに欠け、仕事の用でもない限り行くこと無いわ、の烙印を勝手に押して。
カリフォルニアという土地は、30年以上前、親に連れられて初めて旅した。この時はカリフォルニアである以前に「ディズニーランド」だった。まだ東京のディズニーランドも出来ていなかった頃である。小学生だった自分に関心があるアメリカのディスティネーションと言えば、ディズニー以外になかった。そればかりかディズニーさえあればそこがカリフォルニアである必然性すらもなく、「カリフォルニア」とか「カリフォルニア州」の意識は微塵もなかった(と思う)。ディズニーランドの実際のロケーションはオレンジ・カウンティであり、アナハイム(シティ)なのだが、「アメリカ=西海岸=ロスアンジェルス=ディズニーランド」。飛行機のディスティネーションがそのまま自分のディスティネーションのイメージを代替したから「ロスアンジェルスのディズニーランドに行ってくる」。
その後、「カリフォルニア」には実はなにもない、ディスティネーションなどでないということが分かりかけたのはそのロスアンジェルスの大学院に留学した時。まずは東京ディズニーランドが出来て、わざわざ「ロスアンジェルスのディズニーランド」という方程式が消滅した。さらに留学生として生活してみると、買い物ひとつするにもあれだけ広いアーバンエリアが広がって、ショッピングセンターだっていくつもあるのに、自分が欲しいもの(主に生活の便利品)を売っているここぞと言える場所がないことに気づく。ごく稀に降る雨を防ぐための雨傘を満足に売っている場所すら1年かかっても見つけられなかったくらい。手に入るような気の利いた文房具(ただし実用品)を(当時としては)集めた東急ハンズやロフトのような場所すらなかった。バラバラとならあるんだ。バラバラと。ところがそれらを集積した場所はなくて、一通りを見て回ってから決めよう、なんてと思ったら車を使ってロスアンジェルスじゅうを駆けめぐらなければならない。日本ならば渋谷に出れば何でも揃う、と思っていた時代。バブルを経て百貨店が最盛期を迎えた時期。消費型社会の人間としての自分から見るとなおのこと、「なんでみんなこんな不便で何もないカリフォルニアに旅行に来るんだろう?」という気持ちに変わった。なかでもロスアンジェルスに至っては消費型社会の代わりになるような自然が溢れるわけでもないし。アメリカに対する羨望とかが一気に消え失せていった頃。ボードリヤールが「シミュラークルとシミュレーション」でロスアンジェルスを実在のない消費社会の象徴と位置づけた頃である。その後、仕事上でつきあいのあった現地の弁護士が「ロスアンジェルスではみんな仕事をしていない。ただ車でフリーウェイを走っているだけだ」と揶揄していたのも懐かしい。都市はあるんだが、なにもない。車は走っているんだが何処に向かって走っているのかも分からない。モノは売ってるんだが欲しいモノはない。
こうしてカリフォルニアが旅のディスティネーションになることなどまるで想像できなくなっていたのだった。
さて、今回。
自分が仕事でベイエリアに出入りしてた頃、パートナーの角元弥子にパロ・アルトのインド料理屋の話をよくしていた。「あそこのビンダルーカレーは他で食べたことがない」。いつか一緒に食べに行く?(笑)。みたいな冗談で。
こともあろうに冗談から芽が出て、それを実現することになった。
わざわざカレー食べに。ええ、少々無理矢理なディスティネーション化に成功(笑)。
そして一度ディスティネーションとして定めてしまうと、実はいままで見つけていなかったディスティネーションネタがいくらでも見つかることに気づいた。素晴らしきかなインターネットとグーグル検索。あとクチコミサイトのYelp。しかしもはや消費社会としてアメリカに学ぶものはない、と思っているので見つかったディスティネーションはことごとくモノ消費と関係ない。「コト」づくめ。
まずは「パシフィックハイウェー」。「ルート1」と呼ばれるカリフォルニアの太平洋岸をひたすらに北上するステートハイウェイ。内陸部にインターステートやフリーウェイが整備されるまではここが開拓時代からの主要な移動路だったのだよ、と思わせるような海沿いの道。これをサンタクルーズからサンフランシスコまでひたすら北上する。カリフォルニア、が荒海太平洋に向かった自然の厳しい土地だったことが分かる。
実は「ルート1」、「ロスアンジェルスのディズニーランド」へ出かけたあとに、親のビジネスパートナーが運転するキャデラックに家族で乗せて貰って、ロスアンジェルスからサンフランシスコまでを延々と何にもかけて走った道だった(親の記憶によればサンタクルーズの南、モントレーまでを太平洋沿いに進んだらしい)。丁度そのときに走っていなかった部分、サンタクルーズからサンフランシスコまで、をいまの生活のパートナーと一緒に走る。大昔の記憶をフラッシュバックさせながら。街はさることながらそれ以外はあまり昔と変わらないのだろうな、などと思いながら。実際、太平洋に向かって切り立つ断崖絶壁、地殻からスコッーン!!と立ち上がってきたようなその断面はきっと何百年も何千年もそのままの姿なのだろう。
さらにそのパシフィックハイウェー沿いの「アノ・ヌエボ・ステートパーク」で象アザラシが繁殖のために海から上がってきているのをガイド付きツアーに参加して見る。あいにくの暴風の中(砂嵐と言ってよかった)、砂浜まで延々と歩く。これ、もう忘れられない。自分たちでNHKの「ダーウィンが来た!」の取材班なみかと思われる極限状態を実体験。その挙げ句、出会ったあちらのオスは3トン。こちらはたった50キロ超。人間が地球の主だなんて、通用しないんだぞ。ステートパークのガイドには「25フィート以内には近づくな。向こうは3秒で接近してくる。」と警告されながら。軽く200匹もいると茂みの中に隠れているやつらもいたりでうっかりやられるところでしたぜ。
ナパヴァレーのワイナリーは酒飲みのパートナーには外せないディスティネーション。子供の時に連れられていってもさっぱりと価値がなかったワインも、自分では殆ど飲めやしないワインでも、酒飲みのパートナーと一緒ならテイスティングにも参加でき、自分は飲まなくても1日の予定で無理なく回れる範囲のワイナリーを複数ディスティネーションに出来る。別にワインを(ワイナリーの正札で)買うことを目的にする必要もない。買ったけどw
夜はサンフランシスコでは数少ないエンターテイメントでミュージカル。本来ミュージカルと言えば、ニューヨークのブロードウェイ、なのだろうが、今回観劇した「Wicked」はそもそもがサンフランシスコで上演を始めたプログラム。それがニューヨークブロードウェイやシカゴでの成功も受けての凱旋公演ということで、サンフランシスコでこそ見る価値があり。劇場はサンフランシスコが1929年の経済大恐慌前に最後の栄華を競った頃の歴史遺産、Orpheum Theatre。
他にもゴールデンゲートの、日頃観光客だと上がってこない後ろの山の、上から橋とサンフランシスコ市街を一気に見下ろす展望台とか、ツインピークスのてっぺんでぼけ〜っと日没を眺めるとか。パートナーはサンフランシスコ初めての観光客状態だったから、自分だったらもう乗らないだろうな、と思っていたケーブルカーも、ちゃんとぶら下がり乗車してきた。運転手も車掌も中国系移民青年たちにすり替わっていたけど。
ふうむ。ディスティネーションになるぢゃないか。なっていなかったのは自らディスティネーション化する努力をしてこなかったことと、盛り上がりで何でも楽しもうとする気持ちが足りなかっただけなのかも?もうなんにもないや、と思っていたカリフォルニアでももう一回くらい行ってもなんとなくディスティネーションなるものは設定できそうだよ?
そう、ここまで考えて、思いついたことがある。
なんか客のディスティネーションで無くなって久しい百貨店の話に似てない?
どんな小さいきっかけでもそこから始まる楽しみがある、ということを百貨店が示せてないのかも。と。そして向かう客も向かわない客も、もう探すことすら期待することすら諦めてしまっていて。
自分がディスティネーション化を怠っていたカリフォルニアと、客がディスティネーションとして見なさなくなった日本の百貨店をだぶらせながら、そんなことを考え始めた。


